家村ゼミ展2021
今年は、村田朋泰。―ほし 星 ホシ―
会期:2021年10月4日(月)― 10月19日(火)
休館日:10月10日(日)、10月17日(日)
開館時間:10:00-16:00
会場:多摩美術大学八王子キャンパス アートテークギャラリー 101,102,103,104,105
村田朋泰による解説
はじめに、アートテークで展示するにあたり、空間自体の体験をさせてもらいました。
101は内外から鑑賞可能なガラス張りになっており、開放感のある空間になっています。
102・104は一面のみガラス張りで、空間自体も少し奥に長い印象でホワイトキューブとなる103への序章のような感じがしました。
103は他の空間と比べて小さく、天井も低いような印象を受けました。ここは105へと続くための転換や安息地のような妙な居心地の良さを感じました。
105はほかの空間と異なり、天井も面積も広く大きくなることで他の空間とのギャップを受けましたが、ホワイトキューブではあるものの一部ガラス張りとなっているので、そこから入る日差しがとても神々しく見えるという特徴がありました。これは103とのコントラストとして面白い造りになっている印象を受けました。
話は変わりますが、僕が普段行なっている人形アニメーションは、風景としてのミニチュアセットの中に関節の入った人形を配置し、カメラのアングルを決めて、一コマずつ動かして動画にしていきますが、どの作業にも実際に手でモノに触れていく行為があります。(私の場合)1秒撮影するために15回(フレーム)人形に触れながら、コマ撮りという作業をしたのち、映像の合成や編集(音楽やSEを追加したり、バレ消し[1]作業をしたり)というデスクワークを経て完成します。その後何かしらの機材(モニターやプロジェクター、SNSなど)を通して鑑賞に至ります。
この一連の流れはマテリアル、時間(空気感)、物語という大きく三つのキーワードとして考えることができます。
アートテークは大きく三つの空間で構成されているので、三つのキーワードを考えるというのは、今回の展示にはとても重要なことのように感じました。
マテリアル、時間、物語に加え、16年ぶりに家村さん(本ゼミ指導教授)との展示を考えたとき過去の展示を思い出しながら、コロナ禍における現在の心境や、私の作品で頻繁に見られる「生と死のあわい」についても学生たちと考えてみたい(デス・エデュケーション)という思いがあり、「過去(走馬灯)、現在(あわい)、未来(死)」をアートテークの三つの空間の主なコンセプトとして考えてみようと思いました。ユングが人の心理を考えるとき、布置[2]という概念を提唱しました。東日本大震災を機に制作した「松が枝を結び」[3]は図らずも布置のような構成になっています。
断片的に見える事象を繋ぎ合わせて生まれてくる物語を展示空間に置き換えることは、アニメーションを制作する過程と重なる、私にとって可能性に満ちた体験となります。
いつものとは違う手順で構築する物語を鑑賞者に追体験していただき、何かしらの感情が生まれることが今回の展示プランだと言えるかもしれません。
Past zone 101・ホール
101は、ギャラリーの外からのみ鑑賞する作品で、空間全体にスタイロフォームで製作されたラジコンコースが設置され、ホールでラジコンカーを操作でき、このコースを走るラジコンに設置されたカメラ映像をホール側のモニターで見ることができる。ラジコンコース周囲には、街並をつくるようにビルや花のオブジェ、段ボール箱、モニター、アクリルボックス(家村ゼミ展2020「金氏徹平のグッドベンチレーション ―360°を超えて―」の出品作品)が配置され、ガラス面には室内側から赤い半透明フィルムが水貼りされる。
① 《スタイロフォーム/走馬灯》
スタイロフォームは建築用断熱材として使用されていますが、ミニチュアセット制作にも欠かせないマテリアルです。軽くて丈夫な上、加工がしやすいのでどんな形にも作り替えることができます。過去に制作したさまざまなセットもスタイロフォームを使用しており、映像作品の一部となっています。
この空間はアニメーションで使用されたセットの「倉庫=過去」と見立て、カメラ付きのラジコンが空間全体を駆け抜けながら、過去の私のアニメーションやセットを走馬灯のように鑑賞することができます。鑑賞者は展示空間内に入ることはできませんが、実際にラジコンを操縦することはできます。105もタブレットを使って鑑賞を補完しますので、101と105は相関関係(現実と拡張現実)となっています。
② 《昇天》
入って正面のホールは二階エントランスがアーチのようになっています。この形を利用し、白昼に見える星々が昇天していく様を表現しています。
③ 《黄泉比良坂》
日本にはあの世とこの世の入り口と言われる場所が何箇所か存在します。
「黄泉比良坂よもつひらさか」もその一つです。境界場所に行くことで改めて死生観について考えてみるきっかけになるのではないかと考えました。
誰にでも死は訪れるものですが、死後の世界は未知の世界でもあります。人の死に対する考え方や価値観は個人で異なります。
海外の場合はキリスト教や仏教など何かしらの宗教を信仰している人が多いですが、信教の自由がある日本では特定の宗教を信仰しない「無宗教」の人も多く、ほとんどの人が死生観に宗教の影響を受けにくいといえます。死について考えるきっかけは人それぞれですが、コロナ禍では誰しも少なからず死が身近に感じたのではないでしょうか。
Current zone 102・104・103
102・104は、出入り箇所を除いて、ライティングレール外周部全てにティッシュを糊で張り合わせてつくられた1枚(0.7g×11×18=138.6g)あたり幅約2m×高さ約4mのティッシュ壁が21セットほど吊るされる。2m幅ごとにアルミパイプ(1本200g)とテグス(2本2g)により吊るされ、1セット総重量は341g。安全率2として、レールには一箇所あたり341gの荷重がかかる。
ティッシュ壁の内側には、布などでできたジオラマ(映像作品の撮影セット)とソーマトロープ(鑑賞者が足踏みをすることで回転する)のオブジェが置かれる。また、外周壁に設置されたiPadでは映像作品が鑑賞できる。
103は、熱可塑性エラストマー(商品名:おゆまる)の小片で作った雨粒が展示室外周部床を除いて置かれ、壁2面にその雨粒を使用した映像作品が投影される。照明器具が置かれ105に向かって照らされる。
④ 《ティッシュ/壁》
ティッシュのもつ特性をコロナ禍における人間関係になぞらえ、ほんの少しの空気の動きに儚く揺れ、優しくなびく壁が生まれました。触れると簡単に破け、強い風に翻弄されるあわい壁ですが、壁越しに見える人の温もりを確かに感じます。
マテリアルが本来の機能とは別の意味をもってくるという体験は、人形アニメーション制作でもしばしば見られますが、さまざまなマテリアル(素材)をアニメーションに持ち込んで制作する上で素材アニメーションと言えるかもしれません。
⑤ 《フェイクファー/うねり》
フェイクファーの山は表層はファーですが、裏側(洞窟側)はお面の裏側のような構造になっています。これは「木ノ花ノ咲クヤ森」[4]作品とリンクしています。Past zoneとFuture zoneの中間に位置しているので鑑賞者が交差する場所となります。Current zoneは全体を通して「対の関係」を象徴した展示となっています。
⑥ 《足踏み/ソーマトロープ》
能楽において翁が強い霊力を込めて地面を踏む動作は、地を平らに整え(世界の泰平)、豊穣を約束する呪術です。
また太陽や血を連想させる赤色は、生命を象徴する色とされていますので古くから厄除けとされています。こうしたことから発想された足踏みを動力とした7色14個のソーマトロープは回転によって風を生みます。現代の不安を吹き流す厄除け装置として設置しました。
⑦ 《おゆまる/雨音》
おゆまるはその名のとおり、お湯をかけると自在に変形する透明な粘土です。冷めると固まるのでアニメーション制作にも欠かせないマテリアルです。
雨に打たれる記憶は誰もが持っている記憶としてありますが、雨という物質の刺激を受ける感覚は「冷たい」「寒い」といったネガティブな感覚、もしくは太陽に晒されたのちスコールのような雨を浴びた時「心地よい」「爽快」というポジティブな感覚があります。天から降ってくる雨が大地に落ちて天地をつなぐように、あわいを感じる空間にしたいと考えました。103の部屋から照らされるライトは105に向けられているので、自身の影が105の壁に大きく映し出されます。
Future zone 105
105は、長手方向壁際1.5m幅程度を除いて、床全面に養生段ボールを敷設、十箇所ほど750Φ程度の円形に切り取られ、下に敷かれたアクリル板が見える。円のまわりには木を模した3Dプリンター製のLED照明が置かれ、定期的に点滅する。円以外のスペースにはクッキングシートなどを散在させ、歩くと枯れ葉を踏んだような音が鳴る。
短手奥の壁には、プロッター印刷された黒い紙(坪量104g/m²)が幅9m高さ8mのサイズで大きなスクリーンとして、上部ピクチャーレールより吊るされる。実際は8セットに縦分割されたものをつないでおり、幅1.2m長さ8mの紙(約999g)をヒートン二箇所(6g)に設けられた角材(45mm角、長さ1.2m、約997g/本)に巻き付け、ヒートンでレール金物に掛けられる。1セット総重量約2002g。安全率2として、ピクチャーレール一箇所あたり2kgの荷重がかかる。
また、105の鑑賞方法はタブレット端末を貸出し、展示空間各所でその画面中にAR(拡張現実)映像を見ることができる。
⑧ 《フィラメント/死者との対話》
⑨ 《拡張現実/星》
アートテークでの展示におけるクライマックスは105の空間です。奥へと向かう構造が「死」へ導かれていくようなイメージでした。
私は地元出身の作家である吉村昭氏に傾倒しており、その影響は作品のみならず氏の人間性にも大きな影響を受けています。氏の初期の作品に『星への旅』というものがあります。これは集団自殺の話ですが、その中で主人公の祖母が「死者は昇天して星の群れの一つに化す」という話を幼い頃に聞いたことを思い出します。
「星」と「死」のイメージが忘れられず、ここから展示の発想をしていこうと思いました。
この空間は死者が昇天していく様と大地を俯瞰してみる死者の視点の二つの世界を同居させています。大地に点在するサークルは一つの宇宙、煩悩の集合体のようなイメージとともに、古くから円運動を主体とする儀式的な踊り(盆踊りなど)は死者と生者をつなげる儀式に用いられているのでサークル内を鏡面化し、あの世とこの世のあわいとしました。
ARの世界では人柱と木々が点在し、人柱や木々は実際の風景を3Dスキャンしたもので構成されています。105入り口の鳥居は「黄泉比良坂の入り口となる鳥居」を3Dスキャンし、そこに祀られている千引の岩とされる巨石も同時にスキャンしました。
深い森はあの世の入り口という見方があります。
私自身もプライベートでは森の中で一人過ごすということをします。キャンプをしたり、知人の山でまわりにだれもいない一日を過ごすと、小さな音でもとてもよく響きます。
ある晩のこと、川辺で就寝中ふと目を覚ましたそのとき川の音とともに大きな岩が水中で少し移動したような鈍い音が地面の奥の方から聞こえたり、またある晩には暗闇の森で焚き火の薪がコトッと崩れました。薪が炎で崩れるのは当然なのですが、ちょうどそのとき(昨年)亡くなった祖母のことを考えていたので、その音が祖母の相槌のような気がしました。
静かな森から聞こえる音はだれかとだれかが対話してるようにも感じました。それは死者との対話のようにも感じました。
105は生きている者と亡くなった者とをつなぐ場でもあるので、音を体験してもらいたいと考え、枯葉を踏んだときのようなマテリアルを選び、敷き詰めました。
鑑賞者は雨の池を境に、来た道と違うルートをたどり、光ある世界へ再び戻っていきます。
zone名下部の枠線内の各展示室説明は、大石雅之(当ゼミ非常勤講師)によるものです。
また、本展は、村田朋泰が4月から毎週多摩美術大学に来校し、ゼミ生やゼミ参加者との対話の中から村田が作品や展示のイメージをつくり、ゼミ生やゼミ参加者が作品の試作・実験を繰り返し、6月と7月には実際の展示空間でのコマ撮り撮影と実験をもおこない、現在の展示のかたちを生みました。
[1] バレ消しは日本の映像業界における一種の俗語で、撮影時に画面内に映ってしまった不適当なものをデジタル合成によって消す作業。
[2] 布置(ふち、コンステレーション、Constellation )とは、本来は「星の配置」「星座」を意味する言葉である。
ユング心理学における布置の概念は、個人の精神が困難な状態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったとき、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくる、というものである。
[3] 2017年に制作された村田朋泰による5部作完結作品の3作目のアニメーション作品。
[4] 2015年に制作された村田朋泰による5部作完結作品の1作目のアニメーション作品。